水産学部4年 伊藤穂香
言語によって、土地によって、もっと言えばその人の感覚によって、色の定義は異なる。例えば、日本で生まれ育った私の青は、信号の緑、海の透き通った水色、地平線上に見える海の濃い青まで言い表すことができる。
フランスのブルターニュ地方の地域言語であるブルトン語では、「glas」という言葉が自然界の青を表す。植物の葉の色、晴天の空の色、曇天の空の色、赤みがかったアジサイの花の色、あなたが自然の青だと思った色は、全て 「glas」で言い表すことができるのだ。
日本を出発した2023年1月7日から、帰国した2024年1月1日までの出来事を色とともに振り返る。
学校生活 rose (ビビッドピンク)
大学のすぐ向かいにある寮の、私の滞在していた棟のテーマカラーはビビッドピンクだった。廊下や部屋の扉、キッチンがきれいなピンクによって彩られていた。この廊下やキッチンで、フランス人のガールズや、他国からの留学生たちと仲良くなり、日々の挨拶やハグを交わし、別れを惜しんだ思い出深い空間だ。
レンヌ第二大学は、街の中心から地下鉄で5分ほどの場所にある。語学、芸術、歴史、社会学などを学べる文系大学で、左寄りな考えが根付いており、学生運動が盛んだ。2023年の冬から春にかけては、年金改革への反対運動が学生団体を中心に強く、街でデモが開催される日には、決まってblocage(キャンパス封鎖)が発生していた。最初は、日本ではあまり見ない若者の政治参加の姿勢に感銘を受け、良いものが見れたと思っていたが、荒れ果てていく街や授業中止のメールを見るたびに疲れを感じ、貴重な留学の時間を奪うデモに嫌気が差した。しかし、大規模なデモが開催される日でも、街に一歩出てみると、平日の昼間からのんびりと買い物をする市民の姿もあり、デモがあろうとなかろうと自分の生活を崩さない姿勢を知った。
授業は主に、付属の語学学校のフランス語集中コースを取っていた。最初のセメスターはA2クラスに、後半のセメスターはB2クラスに所属していた。生徒は、世界中の国にルーツを持ち、政情不安定や戦争を理由にフランスに滞在する人々もいれば、突然仕事を辞めて人生の転換点に立っている人々もいて、年齢も様々だった。みんな手をあげて、いや、あげる前によく発言していた。私も小中学生時代を思い出しながら、負けじと手をあげて、授業に必死に食らいついていった。先生たちが行う授業は、非常に工夫されており、全身を使ってフランス語を学んだ。一方で、文法や読み書きに一番の重きを置き、文法のテストや作文の添削は非常に丁寧だった。
秋からのセメスターでは、レンヌ第二大学の学部で、ブルターニュの地域言語であるブルトン語の授業を受講した。フランス語とブルトン語のネイティブであるリワノン先生の授業は、生徒と先生の距離が近く本当に楽しかった。言語自体だけではなく、ブルターニュの歴史、文化、地理、ケルト諸語間における違いまで、学ぶことができた。冒頭で紹介したブルターニュの色の定義もこの授業で習った。
ブルターニュの夏 glas(自然の青)
長い夏休みの間、ブルターニュ地方の食について学びたいと思い、カキ養殖場、ハーブ農家、野菜農家で住み込みボランティアを行った。1日4~5時間働く代わりに、食事と寝床を提供してもらえる仕組みだ。受け入れ先のホストや従業員は、朝から晩まで本当によく働く。そして、スーパーやマルシェ(市場)に出すだけでなく、インターネットを使った販売や隣接する小さなレストランでの営業も行うことで、販路を増やす工夫を行っていた。私も様々な現場に連れて行ってもらい、一緒に仕事をし、豊かなフランスの一次産業の一端を学んだ。
毎日の農作業や、海や加工場での仕事は、非常にきついものだが、海、畑、馬の糞、少しの家しかない自然あふれる田舎での、時間に余白のある暮らしを感覚的に学ぶことができた。また、食材や日用品の名前、農作業中の動詞、相手を気に掛ける言葉等、日常の中でしか身に付かない語彙を増やすことができた貴重な機会だった。
Fest-noz noir (黒)
ブルターニュ地方には、Fest-noz(ブルトン語で夜のパーティー)と呼ばれる、ダンスパーティーがある。規模は様々だが、毎日のようにどこかのまちや村で開かれており、知らない人同士、腕を組んだり、小指を繋いだりして踊る。会場の一体感や熱量の大きさは実際に参加しないと分からない。私はこのFest-nozにどっぷりはまり、8回は訪れ、踊り倒した。また同時にブルターニュの歌や言語に興味を持ち、ブルトン語の授業を取るきっかけにもなった。
旅 orange(オレンジ)
フランスの学校は、季節ごとにヴァカンスがやってくる。期間は1週間から2週間で、夏休みは3ヶ月以上にもなる。私もこのヴァカンスを利用して、10年以上登山や旅を供にしてきたオレンジ色のバックパックを背負い、旅をした。
フランス、オランダ、ベルギー、チュニジア、スペイン、モロッコ、スイス、チェコ、ポーランドを訪れた。中でも印象に残っているのはチュニジアだ。春にはひとり旅を、年末の帰国前には友達と二人旅をした。首都チュニスではヌラさんと3匹の猫にいつも暖かく迎え入れてもらった。ヌラさんの家の屋上を吹くチュニスの乾いた風は一生忘れられないものの一つだ。そして、チュニジア滞在最後の夜には、魚のクスクスとブリック(チュニジア風春巻き)の作り方を教えてもらった。
派遣留学中は、学校での学びだけではなく、生活の中の一瞬一瞬に学びの機会があった。ここでは語り尽くせないが、小さな後悔、言葉が通じず歯がゆい思いをしたこと、面倒なトラブルに巻き込まれたこともあったが、今となっては全て自分自身の成長に繋げられることができる。これから留学に行く人には、ぜひ自分の好奇心に従って行動し、様々な色の溢れる留学生活を作り上げていってほしい。
そして最後にこの留学を支えてくれた、家族、先生、職員の方々、友達には感謝を申し上げたい。
Merci ! Kenavo !