インドネシア スリウィジャヤ大学

自己紹介

鹿児島大学大学院農学研究科生物生産学専攻修士2年で熱帯作物学研究室に所属している岩永響希です。2017年8月1日から2018年2月20日にかけてインドネシアのスリウィジャヤ大学に留学していました。

スリウィジャヤ大学ってどこ?

私が留学したスリウィジャヤ大学は、インドネシアのスマトラ島南部の都市パレンバンにある大学です。パレンバンは太平洋戦争時、日本軍が行った落下傘部隊で知られる都市ですが、私は留学するまでそのことを知りませんでした。スリウィジャヤは昔パレンバンを統治していた仏教王国の名前です。

留学の経緯

学部3年から所属していた熱帯作物学研究室では、国内の農業と同じぐらい海外の農業にフォーカスした研究を行っていました。私が研究していた水稲再生二期作(収穫した刈り株から出る新しい芽を利用する栽培法)も海外、特にインドネシアを対象としていました。現地の研究者や農家にとって、私の研究は意味を成しているのかどうか、そして現地の環境で実験を行った場合にどのような結果が生まれるのだろうか、これらのことを留学して知りたいと考えました。また、同級生や先輩に海外に興味がある方が多く、私も留学してみたいと思うようになりました。

留学前

最初の入学許可証は、5月中旬に届きました。しかし、その入学許可証に誤りがあり、それに気づいたのが6月下旬でした。急いで留学先に事情を伝え、留学1週間前に正しい入学許可証が届きました。肝を冷やしました。また、ビザについては日本で取得できないと連絡があり、マレーシアでビザを取ることになりました。

留学開始(マレーシアでのビザ取得)

初めての1人海外は不安でいっぱいでした。他国に滞在しながら別の国のビザを取得するのは初めてでした。先輩やネットの情報ではビザの取得にかかる日数は、申請から2営業日でした。しかし、私が申請した日の前日に、制度が変わり4営業日に延びてしまい、土日を挟んだためにインドネシア到着が5日遅れることになりました。大使館では、急な日程の変更を余儀なくされた多くの人がイライラしていました。

真・留学開始(インドネシア到着して数日)

インドネシアに到着して寮に向かいました。寮にはマレーシア人やタイ人、スーダン人がいました。また、別のキャンパスに日本人が2人いることを知り早く会ってみたいと思いました。初日からシャワールームの電気が壊れていて、部屋の明かりを頼りにシャワーを浴びました。管理人に業者を呼んで修理してもらうように頼みましたが、1週間経っても業者は来てくれず、結局部屋をかえてもらいました。

研究

インドネシアに到着した翌日に私の実験のために用意してもらっていたイネが枯れていることを知らされました。衝撃でしたが、悔やんでいても仕方がないと切り替えて、イネを栽培し直しました。しかし、新たに栽培したイネも段々と色が茶色に変色していき、死んでいきました。日本では経験したことのない状況であり、留学の目的の中心が研究だったので心が折れました。

 

 

 

 

 

 

 

インドネシアとイスラム教

インドネシアでは人口のおよそ9割がイスラム教徒であり、イスラムの文化や慣習が生活の至る所に見られました。

服装

ムスリムの女性は長袖に丈の長いスカートやズボンで肌の露出を控え、そして頭にはヒジャブをまとい、髪の毛を隠していました。男性でも大学に行くときは襟付きシャツと長ズボンが必須でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

食事・飲み物

豚肉とお酒の摂取はイスラム教で禁止されており、それらを提供している店を探すのは容易ではありませんでした。インドネシアの食事の特徴としては辛いものと甘いものの割合が多いことです。ナシゴレンやピンダン、サテなどインドネシア料理は美味しいと感じるものがたくさんありましたが、留学して2か月後には飽きてしまい、ファストフードを欲する気持ちが大きくなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

寮・住居

街のほうは大きくて様々な色をした家が多かったです。私が住んでいた寮は、比較的きれいでした。洗濯と脱水が別々になっている洗濯機をときどき利用することができました。冷蔵庫もあったのですが、よく盗まれることがあったのであまり利用しませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事

どの国でもいえることではありますが、仕事に就くのは容易ではなく、さらに給料は低いようでした。勝手に店に入ってきてあまり上手ではない演奏をし食事中の私たちにお金を要求したり、道路の真ん中で、信号で停車中の車に商品を押し売りしたりと、私にとっては正直不必要なことを仕事にしている人がいて、複雑な気分でした。

旅行

ジョグジャカルタ

ジャワ島にあるジョグジャカルタに日本人とマレーシア人、インドネシア人で旅行に行きました。ボルブドゥール遺跡やプランバナン遺跡に行ったり、海水浴、ラフティングなどをしたりと楽しみました。

バリ

キンタマーニ高原やタナロット寺院などに行き、スキューバダイビングもしました。ウミガメや色のきれいな魚、ロブスターなどがいましたが、私は終始耳が痛かったので集中できませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴミ拾いボランティア

”Sahabat Hijau Sriwijaya”という学生団体でゴミ拾いをしていました。

ゴミがたくさん

私が住んでいた地域では、ゴミのポイ捨てが凄まじく、特に人が集まるイベントの後は惨状でした。ポイ捨てに対する意識を少しでも変えられたらなと思っていました。

 

 

 

 

 

団体を作る

現地の学生を誘ってゴミ拾いボランティアの団体を作りました。


 

 

 

活動

毎週日曜日の早朝に、公園で開催されるイベントと同時刻にゴミ拾いをしていました。多くの人々に不思議な目で見られながら、沢山のゴミを集めていました。ときどき小さな子供や若いお兄さんがゴミを集めて持ってくるなど、私たちを手伝ってくれました。他の環境団体との共同作業や大学でのプレゼン、SNSによる情報発信など行ってきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

成果

ゴミ袋の利用数が減り、活動場所のポイ捨て量は少なくなったと思います。「自分の国の問題に改めて向き合う機会を作ってくれてありがとう。」と感謝されたときは嬉しかったです。帰国後も、新しいリーダーを先頭に活動を継続してくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

留学して得られたこと・感想

留学の準備や留学先での研究、日常生活は自分の思い通りに行かないことだらけで不安でいっぱいでしたが、1つ1つが試練だと思って割り切って行動するようにしていました。英語が通じずに困ったときには、覚えたインドネシア語の単語を連呼する、もしくは身振り手振りでなんとか凌いできました。インドネシア人も同じ寮に住んでいたスーダン人も優しい人が多く、私の留学生活は彼らの助けがなければ成り立たなかったと思います。本当に感謝しています。再び、インドネシアに行って彼らに会いたいと思います。